『大淀町史』より
分かりやすくなおしたもの
奈良県大淀町佐名伝(小字:前ノ畑)に位置する浄土真宗本願寺派の寺院で、山号は称号山。門を入ると右手に鼓楼、左手に鐘楼があり、正面に入母屋造り五間四面の本堂、右手には庫裏が配される。
創立の由来と変遷
寺の創建年代は明らかでないが、一説によると、もとは「浄迎院畑」にあった真言宗系の寺院が廃絶し、「浄迎院藪」に移転、その後現在地に再興されて真宗寺院へと改宗したと伝わる。
「浄迎院藪」にある大日堂縁起札には、
「享保六年(1721)七月十五日 堂建立 顧主称号山浄迎院」
と読み取れる。
また、中村綾雄氏所蔵の貞享三年(1686)文書には、かつては「新住宮前寺」を本寺(旦那寺)としていたが、万治三年(1660)に一向宗(真宗)道場が退転し、その後二間四面の道場を再興したい旨の願い出が記されている。
真宗寺院としての成立
寺の過去帳写(嘉永四年・1851年)は、元禄二年(1689)から始まっており、さらに本尊木仏下付書には、
「仏尊形、釈寂如(花押)元禄五暦壬申(1692)正月晦日、願行寺門葉宮前寺下和州宇知郡左名手村惣道場浄迎寺」と記されている。
つまり、貞享三年の文書(1686)から3年後に過去帳が始まり、6年後に本尊が下付されて正式な寺号を得たことがわかる。
建築と文化財
現本堂は、享保八年(1723)に再建され、さらに明治三十四年(1901)十月三日に落慶したものが大部分である。
-
本尊:阿弥陀如来立像(高さ54cm)
-
脇侍:親鸞・蓮如両上人の御影
-
余間の画像類:
-
左側:上宮太子画像と三朝高僧画像
-
右側:本願寺前法主・良如画像
※いずれも宝永三年(1706)釈寂如の裏書あり。 -
本如画像:嘉永二年(1849)釈広如の裏書
-
所蔵の古資料・遺品
-
寛永年間の和本「聖徳太子伝」
-
木版資料:
-
「御宝物略縁起」
-
「大谷仏閣」
-
「専売公社ダルマ木版」などが残されている。
-
鐘と記念碑
-
半鐘:昭和十一年(1936)、大雄によって鋳造。
-
頌徳碑:昭和四十年(1965)二月、大雄法師の功績を顕彰して建立。