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​浄土宗 仏眼寺(ぶつげんじ)
『大淀町史』参考

(佐名伝小字寺前)山号を菩提山慈心院。境内に入って右側に庫裏(くり)、正面には入母屋造・本瓦葺の本堂が建ち、建坪は約28.33坪です。本堂の左側には倉庫や書院などが接続されています。境内地は約277.94坪で、隆豊大和尚の頌徳碑(しょうとくひ)があります。

寺に伝わる過去帳には、安永9年(1780)正月に記された鏡誉代の記録が残り、位牌も保管されています。『大阿田村史』によると、開山は元誉上人で、永禄12年(1569)6月1日、五條市桜井寺の末寺として浄土宗に属したと記されています。

その後、高取町下土佐の光明寺の法類となり、明治12年(1879)12月29日には智恩院の末寺へと転じました。開基については詳らかではありませんが、本尊が釈迦如来であることや、境内の石塔場にあった一石五輪塔などから、もとは釈迦堂あるいは密教系の寺院であった可能性も考えられますが、確実な史料は残されていません。

庫裏は明治初年に建立され、その後、大正年間と昭和46年(1971)に増築されました。本堂の建立年代は不詳です。

本尊は釈迦如来坐像で、寄木造・漆箔仕上げ、船形光背を背にし、高さは約48.5センチ、台座は約58センチです。その他に、地蔵菩薩立像、善導・円光両大師の木像が祀られており、阿弥陀如来坐像(漆箔・金色、定印を結ぶ)も安置されています。

寺にはこのほか、享保2年(1717)の「九品往生図」、貞享3年(1686)の「涅槃図」、安永8年(1779)の「百万遍念珠」、安永以降の過去帳4冊、文政・天保期の光明寺との関係書類、正徳・享保・延享・寛延期の位牌などが所蔵されています。また、元禄11年(1698)12月15日の銘がある双盤(高さ42.5センチ、直径37.5センチ)も残されています。

かつてこの寺にあった檀塔場の一部(石塔や一石五輪など)は、現在ユリノ墓地に移されています。

​寺基は現在地に移転されています。

​浄土院
『大淀町史』参考

(佐名伝小字宇山)佐名伝の西端、県道から北へ数十メートルほど入った山裾に位置しています。かつては「浄土院田」や「浄土院蔵」などを所有する寺院でしたが、比較的早い時期に廃寺となりました。

昭和6年(1931)11月8日には、堂宇の修理と什器の新調が行われています。また、この寺は「新四国八十八か所霊場」の第80番札所としても知られていました。

本堂は、四間×二間の入母屋造・瓦葺で、庫裏と一体の建物です。境内には古木が立ち、そのそばには石塔場と地蔵堂があります。仏間に安置された仏像や境内の石塔から判断すると、かつては真言宗系の寺院であったと考えられます。

中央の本尊は阿弥陀如来坐像で、高さ約40センチ。右側には弘法大師の坐像、観音立像(高さ23センチ、京都の仏師・行田安之作の銘あり)、不動明王が祀られています。

本堂の右手、山麓の石塔場跡には青石製の石塔があり、「梵 当寺一代阿遮梨玄昌」と刻まれていますが、年号は記されていません。さらに10数メートル離れた山裾には、大小2基の一石五輪塔があり、一基(高さ44センチ)は無銘、もう一基(高さ52センチ)は損傷が激しいものの、「梵 西介禅門 天正十六年(1588年)戊子 庶月九日」と読み取れる可能性がありますが、判読は明確ではありません。

​現在は佐名伝自治会が中心となり、維持管理を行っています。また春には大祭が開かれています。

〒638-0831

奈良県吉野郡大淀町佐名伝274

TEL:0747-52-3314

​FAX:  同  上

E-mail:shougouzanjoukouji@gmail.com

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